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ただいま

長い文章を書くのが久しぶりです。
もう分かってるんです、書く前から長くなるのは。

あー。それにしても心も体も健康だなー。
健やかが止まりません。
だって最高だったからね。
ライブ。

さて。

山田雅人です。

復活したシュノーケルのドラムです。

去年の4月まではストレンジドラマのドラムもやっていました。(バンドは休止中)
そしてその前はフジタユウスケのドラムを叩いていました。
そしてその前はシュノーケルをやっていました。

シュノーケルは休止をしましたが、その少し前の時期からそこにはフジタユウスケがいました。
実際はそんなに長くない期間だったみたいですが、フジタユウスケはギタリストとしてコーラスや演奏や場の空気や笑いやと、
一言にサポートギターを弾いていましたってだけではないサポートをしてくれていました。
一緒に釣りに行ったり飲みに行ったり(ユウスケはほぼ飲めないけども)うっかり見始めたドリームシアターのライブ映像を丸っとみてしまったりと個人的にも一緒に過ごす時間は多かったです。

シュノーケル休止ツアーから僕は名乗り出て、サポートドラムとして一緒にユウスケのステージに上がるようになりました。

それから何年後だろう。

京都磔磔。
僕は金髪でした。(グレたわけではないですが。)

この日の事を僕は今までで一番頑張った日だと思っています。
自分に出来る事のすべてを出し尽くしました。
きっと喜んでもらえたと思っています。

フジタユウスケの京都でのワンマンライブ。
そこには木下さんも川西さんもミキオさんもいました。
だけど、そこにドラマーの僕はいませんでした。

ドラムを叩くとは、音楽をやるとは、責任を持つとは。

あのとき僕は全てが分からなくなっていました。

ユウスケとステージに立ったのはそれが最後でした。

そして僕はストレンジドラマのメンバーとして活動をはじめました。
ストレンジドラマ以外の活動はストップしました。

2015年3月14日
京都磔磔

この日は自分にとっては嘘みたいに要素が多過ぎて、前までだったらかなり大変な日なはずなのですが、

ライブしてました。
まさに生きていました。
人生単位で一歩踏み出しました。

シュノーケルは本当に凄くなったなと思います。
オレは俺たち3人は凄いんだぞって事を証明したいと強く思っているのでとても嬉しいです。

休止してから丁度5年のこの日、俺たちは新曲をやりました。
ぐっときた。リハから。そんな曲です。

そして、このツアーでオレはまたユウスケとステージに立った。

そして遂にこの磔磔でオレはドラマーとして、西村さんと多望とユウスケと木下さんと川西さんとそして観ててくれたみんなと過ごす事が出来た。

話を聞いてくださったり、しかってくださったり、飲んでくださったり、涙してしまったりと、恥ずかしいところだらけのオレを支えて下さったみんなと最高のステージをやる事ができた。

この日をずっと待っててくれた人がいた。

握手して下さった。

ありがとうとまで言ってもらえた。

この日、色んな事が一つのトコにスポッと収まった。

そこに記念碑でも建てたい気分だ。

すごく沢山の人の名前を刻む事になる。

そして今のオレはなんだかとても調子がいい。

きっとこの5年で一番いい。

書きながら、泣きそうだ。

バンドをはじめて、つづけて、色んな葛藤もあった。

でも今シュノーケルはとてもいい。

だから今オレはきっとこの10年で一番調子がいい。

もしも過去に戻れるとしても、戻りたい時期は特にないけど、

過去の自分に教えてあげられることができた。

こんな日が来るから頑張れって。

そしてオレの自慢は、オレの周りにはきっかけを作る人が多過ぎるって事。

そして未来の自分に一言。

信じて頑張れ。

以上!